球磨川


災害は地域に大きなダメージを残しました。 今尚、被災地では懸命な復旧活動が続いています。
そんな中、2022 年球磨川リバイバルトレイルが誕生!
選手が走る姿(ボロボロになりながらも前に進む姿)が地域に大きなエールを届けました!
本大会に関わる被災した方々のそれぞれのストーリーを是非ご覧ください。

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CASE1 中川 拓さんの場合

■自然あふれる坂本町に移住。これからの生活に胸を躍らせていました

球磨川

引っ越した初日の朝に家のベランダから撮影した綺麗な球磨川。

2020年6月、長年勤めていた熊本市内の会社を退職し、生まれ育った熊本市内から八代市坂本町へ移住しました。趣味がトレイルランニングということもあり、自然溢れる豊かな球磨川や周辺の山々をフィールドに暮らしたいと思ったことがきっかけです。
球磨川

家の向かい側の秘境駅JR瀬戸石駅に停車するSL人吉号。

球磨川のほとりに立つ家に住み、日々聞こえてくる川の流れる音や風の音、鳥や鹿や蛙などの生き物の声、自然から創り出される音色は心地よく、家の向かい側にはJR肥薩線の秘境駅と呼ばれる瀬戸石駅があり、球磨川鉄道のSL人吉号の汽笛には毎回興奮しました。

その豊かなフィールドでのラフティングガイドや林業を営む会社に入社が決まったばかり。これから訪れる夢のような日々を楽しみにしていた7月のあの日、全てが変わりました。

自宅に帰れない―。今、自分にできること

7月3日夕方、球磨川河川敷公園で友人とのランニングを終えて「明日も雨が小降りくらいなら走りましょう」と挨拶を交わし、帰宅すると職場から1本の電話が。「この後大雨になるので球磨川の大雨時流量調査の手伝いをお願いします」という内容でした。

調査地点の球磨村に向け家を出発したのは4日0時前。車での移動中、これまでに感じたことのない猛烈な雨だったのを今でも覚えています。
球磨川

害発生時の写真。取り残されたトンネル

調査地点に到着し、その猛烈な状況の中調査を開始しましたが、数時間後、身の危険を感じ調査は中止に。その頃には球磨川沿いの道路はすでに浸水しはじめており、慌ててすぐ側の橋の上へ避難。しかし周囲は川の氾濫や山からの土砂により逃げ道は全て塞がれ、橋の上と隣接するトンネルの中に取り残されてしまいました。

猛烈な雨はその後も朝まで弱まることなく降り続きました。夜間は暗闇で周りの様子があまり確認できず、かなりの恐怖を感じながら過ごしました。
球磨川

災害発生時の写真。橋があと少しで浸水

朝を迎え明るくなり周りの様子が見え始めると、さらなる恐怖がやってきました。僕たちが避難している橋もあと数メートルまで水が迫り、目の前では道路が崩れ落ち、上流の人吉市や球磨村から沢山の物が川を流れてきていました。電化製品や家具などだけではなく家が丸ごと流されてくるのです。それが橋の橋脚などにぶつかり破壊される音は凄まじい恐怖を感じました。
球磨川

災害発生時の写真。脱出した後の帰り道

スマホで検索して、球磨川にかかる橋が10本以上流されたことを知りました。「僕らもあと少しで流されてしまうかもしれない」。とにかく恐怖だらけでした。
その後、ギリギリのところで奇跡的に雨が治まり、その日の夕方、やっと橋の上から脱出することができました。豪雨により一部が崩れていたり、泥まみれになった道路を車で慎重に進み、何とか熊本市内の安全な場所へ行くことができました。

翌日、家の様子が気になり坂本町へ向かいましたが、球磨川沿いの道路は崩落し家へ戻ることが出来ませんでした。「目の前で大きな被害が起こっているのに自分は何もできない。これからいったいどうすればいいのだろうか」と無力さを感じ落胆しました。
球磨川

チームドラゴンの仲間たち

そのあと仲間達と合流しました。彼らは自分たちの足で山を越えて被災地へ行き、凄まじい被害状況を確認してきていました。合流後、球磨川沿いで泥出し作業をする地域の方を見かけ「僕たちにも作業を手伝わせてください!」と声をかけ、その時いたメンバーで泥出し作業をがむしゃらに手伝いました。
「今の僕らにできることは目の前で困っている人の力になることだ。これしかない!」
それが『坂本町災害支援チームドラゴントレイル(通称チームドラゴン)』結成の瞬間でした。
球磨川

住んでいた家(赤い屋根)→災害後何もない

坂本町の一番奥にある自分の家に戻ることができたのは10日後のことでした。そこには以前の自然豊かな様子はありません。それどころか住まいは跡形もなく破壊され流出し、向かい側にある瀬戸石駅も同様に大破し、線路は大きくねじ曲がっていました。

復興支援から生まれた球磨川リバイバルトレイル

球磨川

7月12日、トレイルランナーが26名集まったとき

災害発生した翌日の泥出し作業から災害支援活動の日々が始まりました。SNSで災害ボランティア活動に力を貸していただける方を募り、7月12日には、被災した球磨川温泉鶴之湯旅館にトレイルランナー26名が集まり炎天下の中、汗と泥にまみれながら支援活動を行いました。それからは土日・平日関係なく多くの支援者が駆けつけてくれ、多い日には1日に76名でした。
支援の輪はトレイルランナーだけではなく、様々な分野の方々へと広がりました。自分たちの活動は家屋60件、ボランティア参加者は延べ約1,300人を超え、依頼された案件を最後まで達成する為に頑張りました。

ある日の災害支援の休憩中、数名の会話から、夢が生まれました。
「球磨川流域を源流から海まで繋ぐトレイルランニングレースを作りこの地域を元気にしよう」と。
これが球磨川リバイバルトレイル誕生の瞬間でした。

災害を忘れない。そして自然に感謝を

球磨川の生まれる源流の大自然、その恵みを運ぶ球磨川、そして僕らの暮らす町や村、そして世界へ広がる海。
山、川、大地、海、全ては繋がっています。私たち人間もそんな自然の恵みの中で生かされているのです。
コース上にはまだ災害の爪痕は多く残っています。
ですがそれ以上にスタートから大自然の山を越え、人の住む里へ降りまた山へ、また里へ降り、川を渡り、また山を越えゴールの海を目指す。そんな自然と人々の繋がりを多くの方に感じていただきたいです。
あの日の起こってしまった忘れられない災害の出来事、そしてこの豊かなフィールドを後世へ繋ぎ続けたい。それが私の想いです。
球磨川
名前 中川 拓
出身地 熊本市
被災時の居住地 八代市坂本町
球磨郡水上村の地域おこし協力隊として水上村のスポーツ施設で勤務。坂本町災害支援チームドラゴンに所属し、災害支援や自然環境保護活動を行う。趣味は筋トレとトレイルランニング。