球磨川


災害は地域に大きなダメージを残しました。 今尚、被災地では懸命な復旧活動が続いています。
そんな中、2022 年球磨川リバイバルトレイルが誕生!
選手が走る姿(ボロボロになりながらも前に進む姿)が地域に大きなエールを届けました!
本大会に関わる被災した方々のそれぞれのストーリーを是非ご覧ください。

  • CASE1
  • CASE2
  • CASE3
  • CASE4

CASE3 KRTがもたらすもの

■二人の出会い

対談
道野:被災した後に坂本支援として「チームドラゴン」というトレイルランナーのグループがきっかけですね。以前から坂本の「よかとこ物産館」に「カネムマンソーセージ」というものが置いてあって、友人がそれを絶賛していたので商品は知っていたんです。ドラゴンの活動の中で、カネムマンソーセージをあちこち持っていってるのを見て「なんておいしそうなんだ、食べてみたい」と思って、直接工房に買いに来たのが出会いです。
それまで、坂本の支援先では会えていなかったんですよ。ただ、あるお宅の支援中に肥溜めに落ちた話はすごく印象に残っています(笑)

村上:そうそう(笑)母の実家が坂本で、ドラゴン代表の吉田くんとは同級生というのもあって、何か坂本にできることはないか、と思ってボランティアに入ったんですが、現状をみたらとんでもなくて、手伝いに来た皆が本当に目の色を変えて「助けなきゃ」という空気感がすごくあって。家の中の泥を出して、土壁壊して、毎日クタクタになりながら皆さん頑張っていらっしゃいました。
道の駅坂本はそういったボランティアの集積地になっていて。支援物資なども届くこの場所にいる道野さんの話は僕も聞いていたんですよ。僕も週1くらいしかボランティアに行けなかったので、なかなか会えていなかったんですけど、支援も終わりが見えてきたときにやっとお会いできて。「道野さんが困ってるなら、坂本が困ってるなら」と言って県内外あちこちから支援をしていただいてて。その方々のお礼に、うちのソーセージを、と言ってくれたのが始まりでしたね。

道野:ここ(工房)に買いに来ると、がっつり話すんですよ。僕も公私ともに被災したので、ずっともやもやしていて。ダークな部分をここにきてワーッと話すと、村上君はそれ以上にダークな話をワーッと話してきて。この人話しやすい!話せる!と思って。すごいさらけ出しました。

■KRT運営のとき

対談
道野:KRTの話がきたときに、今までドラゴン(任意団体)でやっていたことに行政が入ってきたのがすごい、彼らの活動が公認になったって思いました。九州初の100マイルとか、パタゴニアさんとか含めて、いろんな方の支援・協賛が大きなダイナミックなうねりを感じましたね。
災害前の「やっちろドラゴントレイル」からみているけど、地元住民は「坂本には何もない」って思ってるんですよ。でもトレイルランナー目線で見たときに、魅力があるフィールドであり、コース整備をするたびに情報共有をして、それを見た人たちが次々に坂本に足を運んでくれる。それが特にうれしかった。KRTになったときに、これが水上村までつながる…。それを想像しただけで壮大でわくわくしました。エイドステーション(以下、AS)の話をいただいたとき、24時間走ってきたランナーたちは何を食べるのか?寒さ対策は?緊急時どうする?など、いろんなことを吸収しました。復旧・復興活動と同時に進めていたんだけれど、とっても楽しかった。“前向き”なことだから。
じゃあ、どんなエイドを提供しようか?坂本は何を出そうか?と思ったときに、いろいろ考えて、やっぱりメインは絶対村上さんだと。でも、振る方は簡単なんですよ。やるのは本当に大変だったと思う。そこに責任を感じつつ、でも見事にやり遂げてくれた。ほんとすごかった。寝る間も惜しんで仕込みからいろいろしていただいて。

村上:それまでトレイルランというものを見たこともなかったんですよ。それなのに、107km地点の田上ASで食事を提供するという大役を仰せつかったんですけど、それには吉田さんの存在もあって。彼が復興からレースへの転換というのを企画して取り組んで整備して、というのを見てきたので引き受けたんですが、実際ランナーは何を提供すればいいのか?肉を食べてもらっていいのか?スパイスがおなかに影響したりしないのか?とか考えました。寒いから温かいものを、僕が持ってるもので…結果、ポトフを提供しようということになりました。炭水化物やタンパクなどを手軽にとっていただけるように、クスクスという世界最小のパスタをスープに溶いて。ポトフもうまみ調味料を使わずに肉、・菜からダシをとって、体にいいものをさらっと食べてもらえるようにしました。「地中海バルブルッコ」さん、「鶴の湯旅館」さんにお手伝いいただいて、ポトフをじっくり作りました。やっとご提供できて、終わった後もおいしいおいしいって言っていただけて。みんなで大会を作り上げてきた一体感を味わいました。田上エイドだけではなくて、第一回大会でここまで成功できて、なんという未来に向けた取り組みの大会なんだろうって感じましたね。

道野:前半のエイドと違って田上のASは、ランナーが何人来るかわからない。何%たどり着くかわからない。時間も長いし、本業もあるし、ほんと先が見えない運営でした。100マイルのレースだから、選手はみんな全国有数の大会を経験しているだろうから、比べられるかもしれないとも思いましたね。
チームドラゴンにエイドはお願いしました。もちろんメインは村上さん。カレーも出した、晩白柚もだした、イチゴも出ましたね。試行錯誤でやったんだけど、ドラゴンのメンバーがいいタイミングで入ってくれるんですよ。 とにかくできるだけ温かいものを提供しようって考えて。どのランナーもおいしいって食べてくれて。おかわりしてくれたらうれしいなって思ってた、最後のエイドステーションだったし。すべてが初めての経験だったけど、すごい貴重な経験をさせてもらいました。かけがえのない経験。
もう村上君はやりたくないんじゃない(笑)

村上:いやいやいや(笑)。

道野:そのぐらい彼らが来てくれるのがうれしかったですね。
災害後、田上小は、校庭は支援物資でいっぱいになっていたし、体育館は避難所になっていました。そういう拠点だったところに、全国からトップランナーが来て駆け抜けていく。本当は坂本の小学生たちをボランティアで呼びたかったんです。でもコロナでかなわなかった。トレイルランニングっていうスポーツと、トレイルランナーのすばらしさを体験してほしかった、交流してほしかった。これが心残りで。もし次回機会があるならぜひつなぎたいですね。ランナーを見ることが大事。彼らはなぜこのコースをわざわざ走りに来ているのか。そして球磨川リバイバルトレイルは世界に何を発信しようとしているのか。その意味を取ってもらいたいです。災害というネガティブなことをポジティブに変えられる大会だと本当に思っているから。次回の僕の宿題と思っています。子どもたちにゴールの瞬間も見てもらいたいですね。
やっちろドラゴントレイルからこのリバイバルトレイルにつながるストーリーを吉田さんから聞いているから。
でも、間違っても走りたいとは思わないね(笑)。

■トレイルランニングの魅力

対談
村上:トレイルランナーの素晴らしさって、僕が知ってるスポーツと違うんですよね。クタクタにきつくてどうしようもなくなると、周りに気配りなんてできないもんだと思ってたけど、トレイルランナーって、エイドから出ていかれるときにみんなお礼を言ってくれたり、一礼してくれたり。これって何なのかな?ってずーっと考えてたんです。
だいたいどのスポーツって、プレーする人が主役で、選手にスポットが当たるものだと思ってたんですけど、トレイルランに関しては、選手だけがスポットライトを浴びるわけじゃなく、みんなでやってるっていうのを分かち合えてるランナーが多くて、一体感があるんですよね。僕らもただ食べ物を提供してるだけじゃなくて、ランナーがそういう方々なので、ほんとに心から応援してるんですよね。気づくと親身になってて。この人たちがゴールするにはどうしたらいいかってのを、自然とみんなが考えていたと思います。道野さんのような全体を管理する立場の人は、救護だったり、サポートする人も長時間だから倒れたらどうしようとか、そのためのリスクヘッジをすごく考えているんだろうなって。結果的に大きな事故が起きなかったけど、前準備がすごくしっかりされてて。大会終わってみると、みんなが主役だったなって心から思える。サポート側がほんとに全力ですよね。大会運営側の方々が親身になっているのがほんとに伝わってくる。めちゃくちゃあったかい。今までやってきたのとは全然違いますよね。
マラソンとかって、タイムを競うものだけれど、トレイルランってそうじゃなくて、クリアすることを目標にしてるから、そもそもの観点が違うんですよね。過酷なレースをプランニングしてみんなで助け合いながらクリアしたっていうことへの評価基準というものが面白いなって思いますね。

道野:勘違いしていたことがあって。若いランナーが持久力があって、筋力があってトップを走るんじゃなくて、トレイルランナーって40~50代ってのが多くて。自分の体調とか、サバイバルですよね、装備とか。頭のスポーツですよね。体力筋力でガンガン行くもんじゃなくて、自分で体力とかを計算して・・・冒険家に近いところがありますね。30代40代で続けられているって・・・これ僕もできるんじゃないかって(笑)。
災害があるまでキッズサッカーを教えていたんですよ。災害を機に解散になっちゃって。でもこれだったら坂本でもできるし、一人でもできるし・・・あ、できるなって(笑)。
先日のやっちろドラゴントレイルでトレイルランニングシューズ買っちゃいましたよ(笑)。
地下さんと3位の選手が履いてたやつ。あとは時計があればいけるかな~まだないから走れないけどね~(笑)。

■KRTがもたらすもの

対談
村上:トレイルランが作り出すものって、すごく未来を感じます。
八代にきて、何も観光資源が乏しい街で、なかなか外から人を呼んで経済につなげていこうっていうのが難しい状況の中で、どうやって八代の街を発展させようかってよく話していたんですけど、トレイルランっていうスポーツが地域振興に果たす役割ってすごく大きいなって思って。
今回のリバイバルトレイルに関しては、600名のランナーが集まって、朝が早いからゴールの八代のほうにいらっしゃる。トレイルランがあるからこそ来ていただけるので、八代のよさを見ていただきたい。水上から走って、現状をみていただける。そのきっかけがトレイルラン。ここから街を知っていただいて、愛着をもっていただけるってことは大いにあると思っていて、過疎化しつつある街をもう一回見つけていただくこともそうですし、地場の特産品だったり、地域の料理だったり、みんなでお酒を交わしてコミュニケーションをとるっていうのを八代でやっていただけるっていう面も含めて、ドラゴントレイルも球磨川リバイバルトレイルもそうですし、それらが地域に及ぼしている意味ってめちゃくちゃ大きい。
例えば、地元のお祭りには地元の人が集まるけど、トレイルランは全国から来ていただける。行政が企画してやっていることよりも民間がやっていることの方が地域振興という意味では寄与していると思います。

道野:大会の参加賞も、坂本のものを600名分って言ってくださったのもすごくうれしかった。 それともうひとつ。中川拓君の存在がすごくあって。災害の直前に坂本に移住してくれたんですよ。当時は林業をするといって、瀬戸石駅前に住んでくれて。「なんで坂本に?」って聞いたら、「坂本にはトレーニングのコースがいっぱいあるんです」って。そういう移住があるんだ!って。山の仕事もトレーニングになるって。そして被災して、私物は全部なくなって、残ったのは車と車に乗せていた荷物だけになって。あらゆるものをなくしたんだけど、そこから彼は鶴の湯旅館に入ってすぐ支援に動いてくれて。状況報告をあげてくれて、チームドラゴンが盛り上がって。そこから水上村の地域おこし協力隊に着任して、リバイバルトレイルですよ。ここまでには濃密な時間があるんだけど、このストーリーもたまらなくて。すごいかっこいいんですよ。拓ちゃん抜きにも語れないリバイバルトレイルですね。コース整備も率先してやってくれて。とにかく前向きにいる姿がすごかったですね。

村上:「九州初の100マイルレース」っていううたい文句にも震えましたね。九州初で、おまけにこれまで携わったことのない人たちがレースを1から組み上げていって、しかもあの過酷な時期に、ほんとにやるの?って正直思いましたもん。僕は仕事柄、冷凍庫の中の棚卸で、寒いところにずっといるとどうなるかっていうのを身をもって体感していて。走って体力も低下してて、日が落ちて気温も下がっていく、ライト一個で前に進んで、不安の中で戦っていて・・・そんな精神状態で本当にできるのかって思ってて。何人来るんだろうって思ってたし、想像したくない出来事も起こるんじゃないかって思ったし。ランナーさんも運営側も怖いことだらけだけど、そこに立ち向かって事を成していくのには、希望がありましたよね。
完走する方って、この標高差でこの時期だと、割合的に30%ぐらいだろうって聞いてたんですよね。結局ふたを開けてみると60%ぐらいの完走率ってきいて、そんなに完走するんだって驚いて。やっぱりみんなが一体となった結果だからですよね。終わった後も半年ぐらい引っ張りましたよ。球磨川リバイバルトレイルロスっていうか。空洞ができたみたいな感じ。自分がプレイヤーとしてスポーツをしていたころの熱い想いというか。

道野:それに近いアドレナリンはでたね~。
あのコースを開拓したチームドラゴンはすごいと思います。このコースを走ってもらいたい、被災地を見てもらいたい、被災地を感じてもらいたい、鹿の食害も知ってもらいたい。これをトータルコーディネートをしたコースを公式にしたのはすごい。

村上:絶対ロスとさせないためにマーキングっていうんですかね、つけるしるしはどこよりも多かったんじゃないかって聞きました。

道野:あのあとだいぶ余韻は引っ張りましたね~。
それぞれの「リバイバルトレイル」があったと思うし、ランナーとして走りたかったチームドラゴンも運営に回って触発されただろうし、近所の60代の男性がチームドラゴンの活動から走り始めたり、坂本の郵便局長もチームドラゴンの活動に入ってトレイルランを始めたり、これはなんだ!?って思いましたね。
やっちろドラゴントレイルを見てもやりたいって思わなかったけど、球磨川リバイバルトレイルで自分と同世代の人が走ってるのを見て、この世界はすごいって思いました。
災害があったおかげて村上さんとも出会えたし、この世界に関わってる人はこんなにも熱いんだけどクール。クレバーっていうのかな。環境問題も含めて情報発信をして、それをキャッチをして大会にわざわざ来てくれる。それだけでうれしい。ほんと一人じゃできないことだし。

村上:いろんな方に共有したい。まだまだマイナーなスポーツだし。ちょっと地元の裏山を走るとか、もっと簡単に楽しく、笑いながら走れるような大会が増えたらいいなって思うし。

■災害とKRT

対談
道野:災害があって初めて坂本の住民になれたって感じてます。それまではよそものって感じがしてて。旅人感覚もあったんだけど、被災したことで坂本と向き合ったし、坂本のことをもっと知らなくちゃと思ったし、坂本のコミュニティーを作るために広く知らないといけないなって思って。

村上:道の駅を中心に情報などを発信している形ですよね。

道野:じゃあこれから。災害から2年弱たって、これからどうするかって時に、チームドラゴンが言っているあの豪雨災害は川だけじゃなく山の問題でもあるんだっていう問題提起。これは実感しているので、そこと地域の復興復旧をどう絡めていくか。ただ地を固めればいいってことでもないし、一番球磨川の最下流の八代市民ですよ。八代は干拓地なので平地なんですよ。これから上流があふれなくなったら、その水はどこに行くのか?…下流の10万都市の八代ですよ。八代市民の人に問題を共有してもらいたいし、河川整備計画に興味をもってもらいたいし、危機感を共有してもらいたいって思っています。これは僕の前の職場の水俣ともつながる部分があって。水俣病によって何十年にもわたって地域が分断されたんですよ。裁判があって。これから球磨川流域にどんなことが起こるかって考えたときに、源流といわれる水上村から下流の八代市までがどう連携していくか。そこがカギだと思うし、これをきっかけに球磨川とどう向き合うか。球磨川の恵みをどう生かすかも含めて、流域全体で向き合う。これがまさしくリバイバルトレイルだと思います。
そして今回は球磨村が入ってきましたよね。当時球磨村は復旧で大会に人員がさけないということで入れなかった。それくらいひどかったのもわかってたし。球磨村も素敵なコースがあるんですよ。今回入ってくると聞いて、この大会の発展性、可能性をすごいなって感じますね。無事成功してほしいですね。球磨村職員の地下さんがいいコースを作られるんだろうなって思って。いいとこ行くな~、さすがだな~って思いました。ほんとすてきだな~。 そして球磨村のものがフィーチャーされて、生産者が前向きになれればいいなって思うし。
ドラゴンのメンバーも今度はランナーとしていくのかな?
このストーリーってほんと素晴らしいじゃないですか。

村上:これから、トレイルランを知らなかったたくさんの方にもっともっと知っていただきたいし、トレイルランを知ることによって、自然がどういう風になっていってるのか、少しぐらいは関心をもっていただける。トレイルランを知ることによって改善されていく。人間が人間として、昔に戻るわけじゃないけど、今よりも素敵に生きていけるような可能性を感じるんですよね。
日本の食料自給率って今37%なんですよね。もっともっと日本の自然の可能性を広げていきたいし、自給率をあげていくために山の恵みを活用していきたいし。
自然のものを食べるということは、営気をもらって、より素敵な生活を送っていくための活力をもらうということなんですよね。その営気が一番みなぎっている季節が春なんですね。冬から春に代わる、芽吹きの時期がすごく大きな力を持っている。
もっともっと自然の恵みから、自然と一緒に共存して生きていくということがどういうことなのか、それをトレイルランが教えてくれるんじゃないかなって思います。僕たちは食べなきゃ生きていけないわけで、何を食べていくかをしっかり考えることができると思うんです。
トレイルランは食も楽しむ大会だし、自然も絡めて、いろんなことを描けるスポーツだなって思いますね。エイドにはいってくる人たちに、スイーパーさんやマーシャルの方が「あともう少しでエイドですよ!おいしいポトフと、カレーもありますよ!」って、あと一押しを食で促してくれてて。「おいしいカレーとポトフがあるってきいたからここまで頑張ってきたんだよ!」って言って入ってきてくれたんです。こんなうれしいことはないなって思って。作って提供したものを食べてもらって、ゴールにまた向かってってくれる、こんなうれしいものはないって今でも思い出しますね。

道野:よそのエイドの人たちと話してみたいですね。各エイドの運営話とか。オンライン会議ぜひやってください!
現地にも行ってみたいですね。

村上:飲み会になっちゃうんじゃない(笑)。

道野:そうそう、前回のポスターどう?吉田さんのポスター。
坂本に入って豪雨の次の日の写真なんですよ。

村上:あれは1枚で感じてもらえる力がありますよね。1枚にすべてを集約してるというか。
原爆がおちた焼け野原のあとみたいにみえましたもん。

道野:写真の説明をしたくなる素敵なポスターでしたね。いつか筋肉隆々の拓ちゃんをモデルに・・・(笑)。
名前 道野 真人(左)
出身地 東京都
被災時の居住地 八代市坂本町
「道の駅 坂本 さかもと館」の館長。発災から、地域の復興拠点として指揮をとっている。

名前 村上 慎一(右)
出身地 八代市
被災時の居住地 八代市千丁町
「カネムマンソーセージ」代表。生家がある坂本町の復旧に尽力している。