球磨川


災害は地域に大きなダメージを残しました。 今尚、被災地では懸命な復旧活動が続いています。
そんな中、2022 年球磨川リバイバルトレイルが誕生!
選手が走る姿(ボロボロになりながらも前に進む姿)が地域に大きなエールを届けました!
本大会に関わる被災した方々のそれぞれのストーリーを是非ご覧ください。

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  • CASE2
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CASE4 地下 翔太さんの場合

■一夜の惨劇

夜中から降り続いている雨に「いつもとは違う」と感じて目が覚め、二階寝室窓から外を見ると、自宅前の道路が川になっていました。自宅横の小河川が増水し溢れていたんです。
役場の待機ではありませんでしたが、地元消防団として待機命令が出たため自宅近くの詰所で待機していました。その時点では、以前もこれくらい降ったことがあったため「よく雨が降った」と感じただけでした。しかし、明け方になると状況が悪化し、記録的短時間大雨情報のアラームが何度も鳴り響きました。
住民の避難を援助したり、自宅に残っている住民に声をかけたりしました。道路に水が入り込んでいるため土嚢を積んで欲しいと連絡があり、数名で現場に直行すると唖然としました。球磨川が堤防を越水し、住宅地に流れ込んでいました。どうしようもないと立ち尽くしていると、防災行政無線から村長の声が聞こえました。「自分の命を守る行動をとってくれ」との内容でした。同時に消防団も解散となり、私は真っ先に自宅へ戻り家族へ球磨川の状況を伝え、今すぐ逃げるように伝えました。私も、近隣住民に避難を促しながら高台の避難所へ移動しました。時間が経つにつれ、水位が上昇し自宅を含め見渡す家は、二階建て住宅の屋根が見えるだけで全て浸水していきました。避難した住民は泣きながら、自宅が浸水するのを見ているだけでした。その後、特別養護老人ホームに入所していた祖父が助からなかったことを聞きました。

■自身の気持ちの変化

家族で話し合い、とにかく洪水や大雨を心配しなくていいような安全な場所への移転を検討しました。球磨村を離れる人が多い中、球磨村を離れることなく、被災した自宅周辺で土地を探しました。約2年かかりましたが、令和4年4月に新たな生活をスタートさせました。
これまで思ったことはありませんでしたが、初めて走るのを止めようと思いました。気持ちの浮き沈みが多くなり、物事を冷静に判断できないこともでてきました。今でも災害発生時や再建に至るまで、自分の判断は正しかったのか自問自答する時があります。

■知っていただきたい球磨川の魅力

日本三大急流に数えられる球磨川は、季節により様々な表情を見せてくれます。エメラルドグリーンに輝く透き通った球磨川は、これまで流域地域に多くの恵みを与えてきました。今でも流域の農林業をはじめ、ラフティングなど観光面でも球磨川はなくてはならない存在です。

■復興の後押しとする「球磨川リバイバルトレイル」への希望

被災した球磨川流域へ多くの人が足を運ぶことにより、災害を見て感じ伝えてもらうことで風化させないことを大切にしたいです。また、毎年訪れてもらうことで復興の歩みも感じてもらうことができると思っています。球磨川流域全体で取り組むこの大会は、トレイルランニングを通じて災害からの復興を成し遂げる「災害×スポーツ」という、前例のない取り組みになっていくことを確信しています。
地下
名前  地下ぢげ 翔太
出身地 球磨村
被災時の居住地 球磨村
2011年群馬県上武大学で箱根駅伝に出場し、故郷である球磨村に帰り球磨村役場に勤務。役場勤務の傍ら、全国各地のマラソン大会及びトレイルランニングレースに出場。